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Dr. Dobb's Journal (''DDJ''、ドクター・ドブズ・ジャーナル) は、米国でCMP Technology社が刊行していた月刊誌である。DDJ の話題はコンピュータプログラマを対象としており、マイクロコンピュータのハードウェアではなくソフトウェアに焦点を当てた最初の定期刊行物であった。現在では''InformationWeek''誌の連載''Dr. Dobb's Report'' とオンラインニュース ''Dr. Dobb's Portal''になっている。 == 歴史 == === 起源 === マイクロコンピュータの発展は、「革命」という語も使われるほどの(:en:Microcomputer revolution)熱気となっていた。Bob Albrecht は、そんな中で発足した有志団体のひとつ People's Computer Company(:en:People's Computer Company)の主宰であった。また、Dennis Allison はサンフランシスコ半島で活動するコンピュータのコンサルタントで、スタンフォード大学の講師だったこともあった。 People's Computer Companyは同名の機関紙を発行していた。その3巻4号(Vol. 3, No. 4、1975年3月)〔https://purl.stanford.edu/jz908ss3011〕の pp. 6, 7で、Bob は Dennis が書いた、簡易なBASICを設計・実装することを提案する記事を掲載した。これは機能を限定することで当時のマイクロコンピュータでも実装可能にし、またその作業も簡単になることを狙ったもので、Tiny BASIC と呼ばれるようになるものの原点である。記事の最後で、Dennis は、Tiny BASIC を実装したコンピューター愛好家に、もし PCC の実装を行ったなら、切手を貼って宛先の書いた封筒を送ってきた者にコピーを配布して欲しいと要請し、「''爪先立ちしないで、お互いに肩に乗ろう''」と呼びかけた。 機関紙からの発展のような感じで、雑誌が発足した。もともと3号だけをコピーで出版する予定で、題名 ''Dr. Dobb's Journal of Tiny BASIC Calisthenics & Orthodontia'' (「Dr. Dobb の Tiny BASIC の美容体操と矯正術」)副題 'Running Light without Overbyte''(「overbyte''を避けて軽量に動かす」) となっており、Tiny BASIC の実装を配布するためのものであった。この元々の名称は、当時時々 PCC の原稿の貼り付け作業をしていた Eric Bakalinsky がつけたもので、''Dobb's'' とは''Dennis'' と ''Bob''を縮めたものであった。当時はメモリが非常に高価だったため、コードを短く書くことが重要で、マイクロコンピュータの愛好家はメモリのバイトを使いすぎ -- ''overbyte'' をしないようにする必要があったのである。 切手つきの封筒を送ってきた人たちに最初のコピーが郵送された後、マイクロコンピュータのソフトウェア一般についての定期刊行物として発刊を続けて欲しいという要望がPCC に殺到した。 PCC はこの要望を受け入れて、最初の編集長としてJim Warren を雇った。彼は最初の号が出版される1976年1月より前に、雑誌の名称を''Dr. Dobb's Journal of Computer Calisthenics…''(「Dr. Dobb のコンピュータの美容体操..」)に改めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Dr. Dobb's Journal」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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